「あじさいやなぜか悲しきこの命」。梅雨時の…


 「あじさいやなぜか悲しきこの命」。梅雨時の季節感と作者の心境を詠んだ久保田万太郎(作家、劇作家、俳人)の句だ。その彼が、三田(慶応大学)の文学仲間である佐藤春夫(作家、詩人、評論家)と犬猿の仲だったのは有名だ。

 三田系の文学者が集まる会合があれば、2人の席は必ず遠く離れている。言葉を交わすことはない。

 その場で当人同士が互いにどう考えていたかはともかく、周囲は2人の間柄を知っているから、両者以上に緊張した、という話も伝わっている。

 万太郎は1963年5月6日に急死した。画家梅原龍三郎邸に呼ばれ、寿司はふだん食さないのだが、なぜか赤貝の寿司を食べた。直後苦しみ出して、間もなく亡くなった。変死なので検死・解剖が行われた。結果、赤貝が気管にピタリと張り付いていた(大村彦次郎著『文壇挽歌物語』)。

 その翌年の同じ日、春夫は自宅でラジオ番組を収録していた。自伝風の内容だったが、突然苦しみ出して、間もなく亡くなった。急性の心筋梗塞だった。病死なので検死・解剖などはなかった。春夫は「門弟三千人」と言われた。実際に3000人の弟子がいたわけではないが、文壇の大御所だった。

 万太郎が亡くなったのは午後6時25分。春夫の死はちょうどその1年後の午後6時15分だ。同門で犬猿の仲と言われた大物文学者2人が、1年の時を挟んで、他人の見ている中、相次いで急死した。不思議な因縁だ。