「浅野晃(あきら)の文業は知る人にはよく…
「浅野晃(あきら)の文業は知る人にはよく知られてゐたが、敗戦と戦後のながい歴史的時間は、この文学者のほんたうの姿を悪意の遮蔽幕をもって隠した」(桶谷秀昭著「『天と海』浅野晃」 『歴史と文学』所収)。
先日、東京都港区のホテルで「浅野晃先生を偲ぶ集い」が開かれた。あいさつに立った桶谷さんは、著作の一文を朗読して、この詩人の歴史上の位置と人柄について述べた。
桶谷さんが面識を得たのは1981~82年頃。浅野は80歳の老齢。「若々しく、頭脳明晰であつた。何よりもつよい印象を受けたのは、人柄の純粋さであつた。人は老いてもかうでありたいと思はせる香気があった」とも。
逝去から25年が過ぎたが、敬慕する人々の胸に浅野は息づいている。次女の浅野由紀子さんや、孫の浅野猛さんも出席し、一同、遺影に献花。世話人の一人、中村一仁さんは4年前、遺稿を集めて『浅野晃詩文集』(鼎書房)を編集した。
小紙でも80年代半ば、浅野の論考「浪曼派変転」を連載したことがあった。それが本となり、高文堂出版社から88年に刊行されると、中央大学大学院の日本文学ゼミで教科書として使われた。
それが、中央大学名誉教授の渡部芳紀さんの教室だったと、この日、本人に確認することができた。ゼミの留学生の半分は韓国人だったという。浅野の詩を味読すれば、外国人も日本の心が分かり、日本が好きになるに違いない。