「とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり」…
「とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり」と吉田兼好の『徒然草』73段にはある。世間に流通している言葉の多くがデタラメ、と兼好は考えていたようだ。
『徒然草』は1310年ごろ書かれた。ざっと700年前。鎌倉時代末期に当たる。執筆は40代後半ごろからと伝えられる。
「世間にはウソが多い」ということを、どんな具体的な局面で彼が感じとったかは、この記述からだけでは分からない。人生経験の積み重ねの中で、こうした認識に到達したのだろう。
「虚言の多い世」と言うが、「700年前も昔からそうだったのか!?」という驚きもあり、「人間なんか変わらないのだから、同じに決まっているではないか」という納得もある。その意味では、1万年前の縄文時代の日本人もそうだったのか、と想像することも可能だ。
冒頭の文の前後を読んでみると「人は物事を大げさに言う」「時間も場所も違ってしまえば、言いたい放題に作り話をする」「文字にして記録してしまえば、それが定説になってしまう」……などとある。700年後のメディア社会の今と少しも変わらない。
『徒然草』には、この世へのしみじみとした詠嘆が含まれていて、それがこの古典のよさでもある。半面、作者が自分も生活している都の人々を、ネガティブな面も含めて冷静に観察していたことが分かる。21世紀の今にも共通する「虚言」について書いた兼好の観察眼がすごい。