「草笛や雲の流れはほしいまま」(楠本憲吉)…
「草笛や雲の流れはほしいまま」(楠本憲吉)。自然が遊び場だった気流子の少年時代、野山の草が食べ物になったり、楽器となったりした。「草笛」は、そんな玩具の一つで、そこらに生えていた草をむしり取って口に当て、適当な音階で吹いて遊んだ。
草笛を吹くと、どこかもの悲しい気分になった。ビブラートの効いた音のせいかもしれない。おなかが空けば、田畑のあぜ道などに生えているスカンポの赤い茎を折り取って噛むと酸っぱい味がした。
そのほかノビルなども摘んでミソをつけて食べたりもした。これも野性味にあふれて忘れ難い。しかし高度成長期になると、家にテレビなどの電化製品があふれ、すぐに草笛のことなどは忘れてしまった。
その時は、近所では気流子の家に一番早く白黒テレビが入った。もの珍しいこともあったのか、近所から大勢の人がやって来た。たちまちテレビに夢中になり、自然と触れ合う機会は少なくなってしまったのである。
しかし夏休みには、まだ自然に囲まれた郊外の母方の実家に行き、カブトムシやクワガタムシを捕まえたり、川で小魚を捕って焼いて食べたりもした。山にはクルミやクリも生えていたから、それが実る時には取りに行った。
現代の子供たちには、テレビゲームやスマートフォンなど、文明の利器による遊び道具が豊富にある。ただ、それが心の豊かさに結びついていないことを寂しく感じるのである。