テニスの錦織圭選手の世界的な活躍は見ていて…


 テニスの錦織圭選手の世界的な活躍は見ていて気持ちがよい。試合ごとに大きな期待を受け、相応の結果を出す強靭(きょうじん)精神力も魅力で、多くの人が快哉(かいさい)を叫んでいるだろう。

 四大大会に次ぐ格付けの「マスターズ1000大会」の一つであるマドリード・オープンでは4強の一人。戦術を駆使し、相手と駆け引きをするのが錦織だが、連日の深夜のプレーに集中力も限界で、最後の試合で持ち味を出せなかったのは残念。

 次週のイタリア国際を経て、24日からの全仏オープンに臨むが、「気持ちを切り替えれば大丈夫」と意気込みを語る。連戦が利くタフさもさることながら、一試合ごとの気持ちの切り替えも見事だ。

 これは性格的なものもあろうが、自己鍛錬の成果でもある。三冠王打者の野村克也氏は1980年の現役引退時に「『やるだけのことはやった』というのは、限界を越えたあと、どれだけやったかということではないでしょうか」と話した(『野村の流儀』ぴあ発行)。

 頂点を目指し、その地位を維持しようとする者は、日々、自分との戦いにせわしく、その時々の好不調に左右される暇さえないというわけだ。超一流選手に共通の境地だろう。

 初夏の候、大相撲、プロ野球、サッカーJリーグ、ゴルフそしてテニスとプロスポーツ花盛り。一流プレーヤーたちのプレーに、観戦者は手に汗を握り、一喜一憂する――たかがスポーツ、されどスポーツである。