国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関…


 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。7月初旬には世界遺産委員会で正式決定の見通しで、大変喜ばしい。

 この中で九州関連の遺産は、官営八幡製鉄所(福岡県)をはじめ、長崎、佐賀、熊本、鹿児島各県にある計16の造船、製鉄・製鋼、石炭の産業施設。長崎の小菅修船場跡は幕末から明治初めにかけて建設されたドックの跡だ。

 明治政府が殖産興業政策によって欧米の技術の移植に努め、新産業を育成して国家の近代化を進めた史実はよく知られている。注目すべきは明治末ごろには、中央から遠い九州地方でも重工業が急成長していたことだ。

 これには鉄道網のいち早い整備が寄与した。鉄道開業は新橋-横浜間が明治5(1872)年。以下、新橋-神戸間(のちの東海道本線)が明治22年、上野-青森間(のちの東北本線)が明治24年――と全国的に一挙の感がある。

 九州では門司-熊本間が完成したのち、明治42年には鹿児島-門司間が全通した。人の移動には交通機関が必要だし、移動が頻繁になれば各種の産業、サービス業が生まれる。経済の相乗効果だ。

 もっとも八幡製鉄所では、既に日露戦争後に当時の大手運航業者並みに自社船5隻(総トン数1万4462トン)を有していたという。原料鉱石輸送を自社で手掛けていたことも驚くべき事実である。