「オート三輪」とか「寝押し」などが死語と…


 「オート三輪」とか「寝押し」などが死語となりつつある一方、ここ数十年ほどの間に使われるようになった言葉もある。「説明責任」や「任命責任」といったものだ。「任命責任」の方がより新しいようで、特に野党やマスメディアが「首相の任命責任」などの使い方をする。

 大臣のミスや不祥事の際、首相に直接責任がないことは了解の上で、そんな大臣を任命したことについて「任命責任」をぶつける。もっとも、特段の失政のない内閣であれば攻撃材料は少ない。どこかに追及点を見つけ出さなければならない野党は「任命責任」を持ち出すしかない、という苦しい事情があることは確かだ。

 文学の世界では、例えば芥川賞を受賞した作家がその後活躍しないケースは意外に多い。だからと言って、この作家を推した選考委員が辞任しなければならないということはない。誰を大会に出すか出さないか、といったスポーツ選手の選考も同じ。

 もちろん、大臣の任命と文学賞やスポーツ選手の選考は違う。首相が「任命責任」を問われるのは仕方のない面もある。だが、将来を見通すなどという芸当は神ならぬ人間には到底不可能な話だ。

 「任命責任」を含む「責任の無限拡大」の傾向は、今の「民意」でもあるのだろう。しかし、人間の能力には限界がある。首相を攻撃する野党もこの点をわきまえないと、それこそ死語のように埋没しかねない。