関東地方では、桜は大方散ってしまった。…


 関東地方では、桜は大方散ってしまった。どうやら、この花は散ることに関心が向かうようだ。桜を詠んだ歌も、それをテーマにしたものが多い。

 浅野内匠頭長矩(ながのり)の辞世。「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」。散りゆく桜と己の運命を重ね合わせた作だ。元禄14(1701)年3月14日、吉良上野介義央(よしなか)への刃傷事件当日夜の作。

 幕府隠密が大名を査定した資料によれば、浅野の評価は最低だった。政治に関しては無能で、女好きだったという。筆頭家老大石内蔵助良雄も、そんな主君に意見もしない無能な人物だったとされる。その大石らが翌年12月、吉良邸討ち入りを果たすのだから、評価は正確ではなかったことになる。

 その約270年後、作家三島由紀夫が自殺した時の辞世は「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐(さよあらし)」。昭和45年11月25日の作で、季節は合わないが、散ること一般を歌ったものだ。

 「散る桜残る桜も散る桜」は、良寛(1831年没)作とも言われるが、真偽は不明。無念さがにじむ内匠頭や、国民の覚醒を願った三島とは違って、諸行無常の響きが感じとれる。

 一方、この句は特攻隊の青年たちが口ずさんだともいう。となれば、諸行無常さえもが呑気なものに見えてしまうような、悲痛極まりない句ということになる。まさに「様々の事思ひ出す桜かな」(芭蕉、1688年)というほかはない。