かつて米国のニューイングランド地方を旅した…


 かつて米国のニューイングランド地方を旅したことがあった。マサチューセッツ州の港町グロースターは漁師の街であり、芸術家の街でもあった。ここには米国で最も古い芸術家村があった。

 港に面した公園に、グロースターを代表する画家フィッツ・ヒュー・レイン(1804~65年)の銅像が立っていた。博物館に入ると、港や漁船や漁師を描いた19世紀の素晴らしい作品が展示してあった。

 旅の帰路、ロサンゼルスに寄って、現代美術を紹介した美術館をいくつか見て歩いた。古い名画を堪能した後では、あふれる物質の浪費と、やみくもの実験、そして道徳の崩壊があるばかりで失望した。

 美術作品に見る19世紀と現代との違いは、何に由来しているのだろうか。小紙ビューポイントの執筆者で哲学者の小林道憲さんは『芸術学事始め』(中央公論新社)の中でこの問題を論じている。

 現代芸術の特質を小林さんは、統一的な世界像を失ったことによる「神なき時代の芸術」と語る。20世紀に現れた前衛芸術は「崩壊した世界の表現」にすぎなかったのであり、外的世界も内的世界も解体へと向かった。

 では、どこに展望があるのか。小林さんによれば自然の造形力と芸術の造形力は一つ。だから自然と人工を対立させるべきではないという。天地に通じる表現を、小林さんは例えば能や歌舞伎など日本の伝統芸能に見る。芸術を志す若者が古典を見直すことの意義は大きい。