「お松明燃えて星空なかりけり」(開田華羽)。…
「お松明燃えて星空なかりけり」(開田華羽)。この句にある「お松明」は、きょうの夜に行われる京都三大火祭の一つ、嵯峨の清涼寺の涅槃会を指す。
高さ7メートルほどの松明を3本立てて燃やし、火勢の強弱で、その年の豊凶を占うという。もともとは釈迦の荼毘を再現したもの。三大火祭のあとの二つは「鞍馬の火祭」「五山送り火」である。
火祭が何故始まったかについては諸説ある。施餓鬼や火の中で子を産んだコノハナサクヤヒメの故事にちなむもの、諏訪神社の松明を点して戦ったことが起源となったもの、虫送りの民間行事など、それぞれの寺社によって異なっている。
背景には、火が持つ浄化能力や神秘性などがあるのだろう。いずれにしても、祭りは本来は夜に行われたという説があるから、火祭は昔の形式を残した行事と言えるかもしれない。
この頃になると、春の気配も漂い、空にかかる月も、冬の凍てついたような輝きから、少しおぼろげな光を放つ柔らかな印象になる。月もまた、潮の満ち引きに干渉するなど神秘的な性質を持っている。
月に関わる詩人といえば『月に吠える』の詩人・萩原朔太郎が有名だが、その他に『月下の一群』の仏文学者・堀口大學を忘れてはならないだろう。華麗な言辞で、フランスの詩人たちの神髄を移植したこの訳詩集は、多くの人々に影響を与えた。その大學が亡くなったのも、昭和56(1981)年のきょうである。