「人が小説を読むのは、生きていることの…
「人が小説を読むのは、生きていることの実感を確認するのが楽しいからなのだ。たとえ、小説を読んで己が人生の悲哀に涙しようとも、である」(河野多惠子著『気分について』)。
「蟹」など人間の内面を鋭敏な感性で描き、文化勲章を受章した河野さんが、先ごろ亡くなった。引用した『気分について』はエッセー集で、この本についてインタビューしたことがあった。
「小説を書く時は、自分の中のいちばん深い所で触発されて書くわけだから、想像力に浮かんだことを包みかくさず、全部本当のところを出そうとします。エッセーは、文学的なものと日常的なものとでは違いますが、もう少し浅い」。
河野さんは人間を霊的なものと認識していて、その世界を言葉で探ろうとしていた。作者と想像力についてこう説明する。「タコと糸との関係ね。糸をこう引いたからといって、タコがどこへ行くか計算ができない」。
手にある糸と、偶然と必然で動くタコが、タイアップしているという。「言葉や文章で表現できないものは無い」と思ってはいるが、「他の芸術を言葉で伝達することだけは不可能」とも語る。
そんな話を聞いたので、小紙に連載された音楽評論家・故中河原理さんの「音楽時評」が初めて本になった時、書評をお願いすると引き受けてくれた。その文章に深い感銘を受けたようで賛辞を惜しまず、「いい人を見つけたわね」と称えてくれた。