「春そこに来てゐる如き水辺かな」(高浜年尾)…
「春そこに来てゐる如き水辺かな」(高浜年尾)。きょうから2月になる。まだ寒い日が続くとはいえ、2月の声を聞くと、どこか春の気配を感じさせるものがある。
歳時記でも「春」の項目には「月でいう場合は二月、三月、四月を春とする」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)とある。具体的には、立春が暦の上で春の初めとなる。
このところ外に出ると日差しもやや柔らかな感じがするのも、気のせいばかりではないだろう。東京に先日降った雪が所々残っているが、どこか控えめで冬の名残という印象を与える。厚着をしていると暑苦しいほど。
こういう日は、会社で机に向かっていても心がそわそわしてくる。気分転換に外に出ると、小社近くにあるJR浮間舟渡駅前の浮間公園の池には、日なたぼっこをするようにさまざまな鳥が水面に浮かんでいて、陶器のオモチャのようにも見える。池に張り出した場所に、鳥の絵と名前を書いた掲示板がある。それを参考に鳥たちを見ても、似たものだと混乱して分からなくなってしまう。
鳥に国境線はない。この湖で憩っている中にも、はるかな遠い国から飛来してきた鳥もいよう。だが、彼らがこの地にいるのはしばらくの間だけ。
人生を旅にたとえた俳人に芭蕉がいるが、渡り鳥はまさに、その象徴と言える。春には学校で入学式や卒業式が行われる。旅のような出会いと別れの季節でもある。