「雪が降るとこのわたくしには、人生が、…


 「雪が降るとこのわたくしには、人生が、かなしくもうつくしいものに──/憂愁にみちたものに、思へるのであつた」。中原中也の「雪の賦」という詩の冒頭部分だ。「賦」は歌のこと。

 雪が降ると、世界はいつもと違った光景になるだけでなく、気持ちも物悲しいものになってしまう、ということのようだ。

 詩には「大高源吾の頃にも降つた」という一節も含まれている。赤穂浪士の一人である大高らが討ち入ったのは、元禄15(1702)年12月14日。雪の日だったと伝えられる。この詩が書かれたのは昭和11(1936)年だから、230年ほど前の歴史的事実を歌ったことになる。

 幕末期の安政7(1860)年3月3日には、大老井伊直弼暗殺事件が起こっているが、これも雪の日。「雪の賦」が書かれた年の2月26日には二・二六事件が発生した。これも雪。

 いずれも、身分の高い人物が大勢の人間によって殺害された点で共通する。事件の悲惨さと雪の光景が結び付いている。なお中也は二・二六事件の翌年、30歳の若さで亡くなっている。

 雪に特別な感情が生まれるということは、日本全土の相当部分を占める降雪地帯に住む人々には実感しにくい話だ。雪だからといって、いちいち悲しんだり、美しいと感じたりすることは暢気で贅沢に思えてしまうに違いない。が、それでも、この現象が何やら妖しげな気分を人にもたらすことは確かなようだ。