「作業衣を干して勤労感謝の日」(合田丁字路)…


 「作業衣を干して勤労感謝の日」(合田丁字路)。きょうは「勤労感謝の日」。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「勤労をたっとび、生産を祝い、互いに感謝し合う日で、国民の祝日の一つ」とある。

 これだけでは抽象的な印象しかないが、その続きを読むと意味が理解できる。「もと、この日は新嘗祭(にいなめさい)として、国の祭日で、今年の初穂を神に奉り、天皇陛下も召し上がる儀式」とあり、こちらの方が分かりやすい。

 単なる労働ではなく、日々の糧を得る尊い作業に感謝を捧げる日と考えればよい。春に種を蒔(ま)き、それを丹精を込めて育て、秋の実りを祝うということである。

 その意味では、「新嘗祭」は働くことの根幹にある日と言っていいだろう。そう考えてみると、いささか面はゆいものもある。果たして、それほど働くことに真摯(しんし)に勤(いそ)しんできただろうか、と思うからである。

 もちろん、生活の糧を得るために日々通勤し、仕事をしてきたことは間違いないが、それによる充足感はあったのかというと疑問が浮かぶのである。稲の収穫ほどの感動はないのではないか。そんな思いを抱くのも、現代社会では仕事の結果が目に見えにくいからだろう。

 きょうは改めて働くことについて考えるにはいい日かもしれない。明治29(1896)年のきょうは、生活苦の中で家族のために働き、「たけくらべ」など傑作を書き続けた樋口一葉の亡くなった日でもある。