原爆は悲惨なもの、決して投下してはならない…
原爆は悲惨なもの、決して投下してはならないものだ。そのことに反対する人間はいないだろう。が、川端康成(1972年没)が書いた文章を読むと「原爆=悲惨」という通念とは全く異質の見方が示されていて興味深い。
被爆から5年後の1950年4月15日、川端は初めて広島の被爆地を訪問した。その年に書かれたエッセーは、今から見ると異様なものだ。
「私は広島で起死回生の思いをした」「自分の(略)仕事の奇怪さをかえりみずにはいられなかった」「人類の惨禍が私を鼓舞した」「広島のむごたらしさも私に生きていたいと思わせた」……。
この文章は、富岡幸一郎著『川端康成 魔界の文学』(岩波書店・2014年5月刊)に引用されているものだ。「むごたらしさ」という言葉はあるが、全体としては「自分は原爆によって鼓舞された」と読める。
文学者である自分の仕事の「奇怪さ」についての自覚はあるものの、当代の「原爆=悲惨」という図式とは異なったものが示されている。こういう受け止め方もあったのだということが、60年以上もの時間を隔てて伝わってくる。
川端の言葉は、常識的なものからは遥かに遠い。だが考えてみれば、あらゆる文学や芸術は、原爆も含めて「悪」を描くものだった。誰もが平気でキレイ事を口にするこの時代、本物の文学者はこの程度には恐ろしいものだ、ということを川端の言葉は物語っているようだ。