日本の近代彫刻は荻原守衛から始まると…
日本の近代彫刻は荻原守衛から始まると言われている。彼は長野県安曇野の出身で、米国とフランスで美術を学び、とくにオーギュスト・ロダンの感化を受けて1908年に帰国。新宿にアトリエを構えた。
近くに同郷の相馬愛蔵・黒光(こっこう)夫妻の経営するパン・菓子屋「中村屋」があり、付き合いが始まった。夫妻は芸術文化に理解が深く、美術家らが訪れるようになり、「中村屋サロン」が形成される。
荻原は10年4月、30歳で亡くなり、彫刻に専念できた期間は2年間にすぎない。有名な「女」は遺作で、原型を完成させて急逝。両手を後ろに、跪(ひざまず)いて身をねじりつつ、顔を高みに向けている像だ。
像にはモデルがいたが、これを見た黒光は「単なる土の作品ではなく、私自身だと直覚されるものがありました」と自伝に記した。精神的なものと物質的なものとの間で揺れる、黒光自身の心情を見たからだ。
このサロンには荻原が留学中に知り合った戸張弧雁、柳敬助、高村光太郎はじめ、中村彝(つね)、鶴田吾郎、会津八一らが集い、さらにはロシアの詩人エロシェンコら国外からも人々を引き寄せた。
このサロンの活動を紹介する「中村屋サロン美術館」(染谷省三館長)が先ごろ「新宿中村屋ビル」3階に開館。特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」が開催中で、荻原の「女」をはじめ、当時の芸術家らの息吹を伝えている。