「大空の深きに落葉舞ひ上る」(高浜虚子)…
「大空の深きに落葉舞ひ上る」(高浜虚子)。道筋に落ち葉が重なっている。見上げると落葉樹の多くは、紅葉の衣装を脱ぎ捨てて寒々しい印象。葉が落ちて針金のような枝だけが晩秋の光を浴びて黒く見える。
春や夏にあれほど青々とした葉や花をつけていた枝の細さに、ちょっと驚かされる。しかし、化粧を落として素顔をさらした木々は、いさぎよいほど堂々としていると言えまいか。
落葉した木々は、どこか人生の終わりを感じさせるものがある。人間でいえば、年輪を重ねた人、特に修行を積んだ老僧のようなたたずまい。虚飾を捨ててシンプルな真実をさらしているような姿と言えるだろうか。これで冬の寒さや雪の重さに耐え、また巡る春の季節を待つ。
「しづけさに吾ある時の落葉かな」(稲畑汀子)。秋の静けさは、落葉の音が大きく聞こえるほどである。その落ち葉を掃き寄せてたき火をする風景は、かつては多く見られたが、今ではどうだろう。
都会では、火事の心配もあり、燃えるゴミとして処理されている方が多いようだ。ちょっとさびしい気もするが、仕方がない。たき火でサツマイモなどを焼く情景は今後、忘れ去られるかもしれない。
「子供は風の子」というように、昔は寒い日でも子供は外で遊ぶのが当たり前だった。現在はあまり無いようだ。この季節、空気が乾燥してカゼを引きやすいので、体調管理には気をつけたい。