「赤くなる為の林檎(りんご)の日を…


 「赤くなる為の林檎(りんご)の日を纏(まと)ふ」(佐藤静良)。太陽の光は、春夏秋冬それぞれで受ける感じが違う。春は雪解け水を思わせるようにふんわりしており、夏はジリジリとフライパンで焼くように苛烈で、秋は透き通るように柔らかい。

 そして冬は、さらさらとして水気のない感じだろうか。冒頭の俳句の「林檎の日を纏ふ」とは、日本人らしい感性がよく出ている表現だ。光にそんなことを感じるのも、自然とともに生きてきた生活感から来るのだろう。日本では太陽神を女性と見立てているので、光の表現にもどこか華やかなイメージがある。

 日本の詩歌を男性的なものと女性的なものとに分ければ、万葉集は男性的、古今・新古今和歌集は女性的と捉えることも可能だろう。それぞれの歌風は「ますらおぶり」「たおやめぶり」と言われる。

 西洋文明の影響を受けた明治時代の詩人たちも、こうした詩風が表れている。叙情的な調べを得意とした島崎藤村の詩は女性的で、土井晩翠(ばんすい)の作品は男性的な声調を持っていた。

 詩のテーマも、藤村は「初恋」に見られるように恋愛が主で、晩翠は男子の気概を漢詩風に歌っている。「荒城の月」は代表作の一つ。

 晩翠の姓の土井は、もともとは「つちい」だったが、後に「どい」と名乗るようになった。その晩翠は、漢詩風の詩があまり好まれなくなったため、戦後は主に学校の校歌の作詞に専念した。昭和27(1952)年のきょうが命日である。