今年は日清戦争開戦から120年に当たる。この…


 今年は日清戦争開戦から120年に当たる。この戦争で正岡子規が従軍記者として大陸に渡り、帰りの船で喀血した話は有名だ。子規と日清戦争の関わりについては、評論家の末延芳晴氏が『正岡子規、従軍す』(平凡社)という本を2011年に出している。

 同書は、子規が従軍に際して詠んだ漢詩などに当たりながら、その内面とりわけ「陰」の部分に迫った労作。しかし、漢詩の重要な部分を誤読している。

 従軍を前に子規が旧藩主から刀を拝領し意気込む「古刀行」の一節。「将(まさ)に胡虜(こりょ)に向かって試みんとす」を「敵の捕虜を切って試してみたい」としている。

 ここに使われている「胡虜」という言葉は、夷狄をののしって言う言葉で「捕虜」の意味はない。李白の有名な詩「子夜呉歌」に「いずれの日か胡虜を平げ」の句があるが、北方の蛮人を平げるという意味だ。子規の頭にはこの漢詩があったかもしれない。

 確かに子規の詩は、眠っていた侍の血が目覚めたのか、好戦的で物騒だ。しかし、敵を斬るのと捕虜を斬るのとでは大きな違いがある。著者にポストコロニアル批評のバイアスが掛かりすぎたのではないか。

 同書は11年の和辻哲郎文化賞を受賞している。梅原猛氏、山折哲雄氏らが選考委員を務めているが、この重大な誤読に気付かなかったのか、あるいは大した問題ではないと考えたのか。子規や和辻に同書への感想を聞いてみたいところだ。