1964年の東京五輪の開会式からちょうど50年…


 1964年の東京五輪の開会式からちょうど50年を迎え、東京・新宿の国立競技場の聖火台が取り外された。戦後日本の復興を象徴する聖火台は、今度は東日本大震災の被災地、宮城県石巻市に貸し出され復興の篝火(かがりび)を灯す。

 50年前の開会式、最終ランナーの坂井義則さんは聖火台の横で聖火を高々と掲げた。それが聖火台に点火され、炎が力強く燃え上がった時の感動は忘れられない。

 この聖火台は、埼玉県川口市の鋳物職人、鈴木萬之助さんと文吾さん親子が、国の威信を懸け必死に造り上げたものだ。そのどっしりとした形は、全く新しい発想で造られたものだろうが、どこか縄文土器を思わせるところもある。

 2020年の東京五輪の聖火台をどんなデザインにするのか論じるのは、気が早いだろうか。新潟県の新潟市、三条市などが、そのデザインに火焔型土器を採用するよう求める活動を展開している。炎が燃え上がる形に似ている火焔型土器は、多くが新潟県で出土している。

 この土器に象徴される縄文文化は日本文化の源流であり、それを世界に発信する意義があるというのが提案の理由だ。縄文土器は世界最古の土器とされ、縄文文化は自然と共生するものとして注目されている。悪いアイデアではない。

 しかしそれは、今後検討すべき楽しい課題として、まずは縄文文化の中心地であった東北の復興を、縄文土器に似た聖火台に見守ってもらおう。