比叡山で「千日回峰行」を2度達成した、天台宗大阿闍梨の…


 比叡山で「千日回峰行」を2度達成した、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉師が先日亡くなった。この荒行は比叡山の山中など計約4万キロを7年かけて踏破するもので、9日間の断眠、断水、断食を含んでいる

 2度目の満行は1987年7月、60歳の時で、2度の達成は、記録の残された織田信長の比叡山焼き討ち以来、3人目。その後も、中国の五台山やエジプトのシナイ山などの巡礼を続けた

 得度したのは40歳の時だったが、その前から指導を受けるようになったのは、当時、無動寺谷・弁天堂の輪番を務めていた小林隆彰師。最初は短期入門で、掃除、洗濯はじめ真言を唱える行を教わった

 ひと月すぎて山を下りる時、師から「お礼の意味で般若心経を21枚書いてお供えして帰りなさい」と言われた。筆も硯も使い方が分からず、1枚書くのに2時間半かかって、これでは帰れないと青くなる

 そこで思いついたのが、最初に書いた紙を下に敷いて上に半紙を重ねて写す方法。出来上がった21枚を見せると師は感心してほめてくれたが、よく見るとすべて同じ字が抜けていた。大目玉を食らってやり直し

 最初に書いた時1字抜けていたからだ。酒井師が『一日一生』(朝日新書)で述べている思い出だ。このコーチと選手のような関係は以後も続いたが、91年秋、二人は念願だった五台山に巡礼。小林師による旅のエッセーには“弥次喜多道中”のような趣があった。