圏央道の高尾山-相模原愛川間約15㌔が…


 圏央道の高尾山-相模原愛川間約15㌔がこのほど開通し、中央、東名、関越の三つの高速道が、圏央道を介してつながった。メディアもこぞって、開通のプラス面を強調した。

 が、圏央道には強い反対運動の歴史があったことも確かだ。「高尾山の自然を守れ」という掛け声の下、「圏央道絶対反対」などの多数の看板を見かけた。「軽々しく『絶対』なんて言っていいのだろうか?」と疑問に思ったこともあった。

 圏央道の一部開通は、要は反対運動の敗北を意味するのだが、報道を見る限り、旧反対派にその実感はなさそうだ。自然保護の観点から反対を訴えたことの意義は大きかった、という判断がそこから見てとれる。

 「絶対反対」の割にはあっさりしたもので、挫折感も全くない。共産党の路線転換で挫折した青年らを描いた柴田翔著『されどわれらが日々──』(1964年上半期の芥川賞受賞作)のような文学が生まれる余地はなさそうだ。

 井上ひさし、永六輔両氏ら左翼文化人も参加した運動だったが、国のやることには「とりあえず反対」という程度だったのだろう。敗北もあらかじめ計算の上だったかもしれない。

 挫折感がないのだから、今後テロなどの危険行動を起こす可能性も考えにくい。「運動の意義はあった」と振り返るぐらいだから後腐れはなさそうだ。戦後70年、この種の政治運動に自分を賭けるという局面は、だんだん少なくなっていきそうだ。