横浜市の中学生5人が先月、長崎原爆の…
横浜市の中学生5人が先月、長崎原爆の「語り部」(被爆者、77歳)に対して「死に損ない」という暴言を吐き、語り部が学校に抗議していたことが分かった。未成年とはいえ、人間として最低の発言と言うほかはない。
半面この話には、暴言問題を超えた一面が潜んでもいる。語り部は原爆について語ることを「平和教育」と位置づけているが、原爆を含めた戦争の悲惨さを語ることと実際に平和を実現することは別問題、というやっかいな現実があるからだ。
原爆の悲惨さは語り部の語る通りだろう。が、それが語られることによって戦争が回避されるわけではない。戦争は、戦争被害者の思いとは無関係に起こる。
来年は戦後70年。生まれた子供が老人になるほどの長い時間だ。あらゆる記憶は、被害者のそれなりにまっとうな思いとは無関係に、時間と共に消えていく。戦争も例外ではあり得ない。
原爆の悲惨さを語る体験者の話は、孫の世代に属する中学生にとって、受け止めにくいものになっていたのではないか。修学旅行という学校行事の中で、いきなり原爆の話を聞かされても、響くものは特になかったのだろう。
「なじみのない遠い昔の話を聞かされた」という思いは、暴言を吐かなかった中学生の間にも多かったと思われる。「どれほど悲惨な歴史も必ず風化する」というのは、遺憾ながら人間にまつわる永遠の真実に違いない。