【上昇気流】調印反対派の徳川慶喜と大老井伊直弼
渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(平凡社刊)に、慶喜が幕末の大老井伊直弼と対面した場面がある。深刻な場面だった。1858年6月19日、幕府は米国総領事ハリスとの間で日米修好通商条約に調印した。4日後、調印反対派の慶喜は江戸城で大老を詰問した。
「天皇の許しがないのに、なぜ調印を強行したのか」と慶喜が迫る。が、大老は「恐れ入りたる次第」と答えるだけ。慶喜は「なぜ使者を直ちに京都に送らなかったのか」と畳み掛ける。
それでも大老は明確な返答をしない。その繰り返しの果て、慶喜はやむなくその場を離れるしかなかった。大老は43歳、慶喜は21歳。
「恐れ入りたる次第」は、今で言えば「申し訳ございません」だ。事は全て終わっている。取り返しはつかない。それは、責める慶喜も重々分かっている。大老も、慶喜が分かっていることは承知している。その上での「恐れ入りたる次第」だったのだろう。
調印の撤回は論理的にはあり得る。だがそうなれば、日米は戦争となる可能性がある。英国やフランスが参戦することも考えられる。
若い慶喜も、戦争までは望まないだろう。結果は勢い込んだ慶喜の敗北だ。慶喜以外の反大老派全体の敗北でもある。だが、歴史は終わらない。苦々しい感情の塊が、2年後の水戸浪士らによる大老暗殺事件(桜田門外の変)へとつながる。慶喜が暗殺に関与していた形跡は全くないが、歴史が混迷へと向かったことは周知の事実だ。