【上昇気流】湾岸危機と中曽根・フセイン会談


「米国人はカッとなると前後の見境が付かなくなる」――。1990年の湾岸危機でイラクを訪問した中曽根康弘元首相がフセイン大統領に語った言葉だ。外交文書の公開で明らかになった

「米国人は好きだが、時としてティーンエージャーみたいなところがあるのは困りものだ」などと言ってフセイン氏を笑わせた。この訪問でイラクに拘束されていた邦人77人が解放された。

中曽根元首相「米、カッとなると見境なし」

1990年11月、イラクのフセイン大統領(右)とバグダッド市内の大統領府で会談する中曽根康弘元首相(AFP時事)

中曽根氏の言葉は米国とイラクの武力衝突を回避するため、警告を込めて語られたのだろう。かつての海軍主計将校として、先の大戦で日本の主要都市を焦土化し、原爆まで落とした米国への実感もあったに違いない。

「カッと」させた最たるものが、80年前の真珠湾攻撃だった。しかも駐米大使館の不手際で、交渉打ち切り通告、事実上の宣戦布告が攻撃の後になってしまった。米政府は「だまし討ち」と非難。厭戦(えんせん)的な米国世論に火を付けた。

攻撃前に山本五十六連合艦隊司令長官は「奇襲はするが、寝首をかきにいくのではない」と再三語ったという。日本海軍の名誉を守るとともに、だまし討ちされた場合の米国の反応を心配したのだろう。

山本長官にとって、開戦劈頭(へきとう)、米太平洋艦隊に大損害を与えることが、講和に持ち込み得る唯一の選択だった。米国民の戦意喪失を期待したが、真珠湾の大戦果は逆の結果をもたらした。宣戦布告後であったとしても、米国人気質を考えれば同じだったのではないか。