【上昇気流】「いい物さえ作っていればそれでよい」時代は過ぎた


 「いい物さえ作っていればそれでよい」という時代があった。昔はそれでよかったのだが、今はこうした発想だけでやっていきにくくなった。「いい物を作るのは当たり前」だとして、その上で「良さ」を伝えなければならなくなった。時代の変化が速くなって、いろいろな物がどんどん出てくる。

「いい物は継承される」とは言いにくくなったのは間違いない。「自(おの)ずと伝わる」といった定評が、昔に比べれば低下した。

日本ハムの新庄剛志新監督、初日から独自色

秋季キャンプで選手に話し掛ける日本ハムの新庄監督=8日、沖縄・かいぎんスタジアム国頭

となれば、インパクトのある伝達方法に頼るしかない。プロ野球の新人監督の痛々しいまでのパフォーマンスを目にすると「こんなことまでしなければならないのか!?」と驚く。

「男は黙って……」ではなくなった。「これはこういう点で優れている」といった説明が必要になった。もともと説明は面倒なものだから、短時間では用が足りない。それを承知で伝えるとすれば、説明不十分なまま、目立つことぐらいしか手段もない。昨今のパフォーマンスの多用にはそんな背景があるのだろう。

明治維新のような革命があったわけでもない。戦争があったわけでもないのだが、恐ろしいスピードで日本も世界も変容している。「あれよあれよ」と見守るばかりだ。

そんな時代の中、説明が求められるのは仕方がないとしても、結果として「巧言令色(口当たりのいい言葉)」になりやすいのも確かだ。「それでいいのか?」とも思うが、こうした流れはしばらく終わりそうにもない。