芥川龍之介の「蜜柑」


新型コロナウイルス禍で適度な換気が必要なので、ステイホームの中、時々窓を開ける。ついこの間まで、外の空気には湿気と熱気がこもっていたが、今では結構冷たい。秋の深まりを感じる次第である。

雨の日も多いが、晴天の日は青空が澄んだ表情で心も洗われる。実りの秋で、旬の果物も出回る季節だ。ブドウやリンゴ、そしてミカン。ミカンはまだ少しばかり酸っぱいものが多いようだ。

気流子の故郷は東北だが、リンゴよりも、秋から冬にかけてミカンをよく食べていた。その理由は、リンゴは皮をむくのが面倒だが、ミカンは簡単に食べられるからということもあった。ミカン箱にあふれるようだったミカンの山が見る見る減っていった光景が懐かしい。

ミカンで思い浮かぶのは、芥川龍之介の「蜜柑」という短編小説である。初めて読んだのは、学校の教科書に掲載されたものだった。芥川には「トロッコ」や「杜子春」「蜘蛛の糸」など、子供向けの小説が幾つかある。「蜜柑」は主人公の「私」から見た13か14歳の小娘の行動を描いたものである。

「私」が横須賀線の列車に乗っていた時、小娘がやって来る。途中で小娘は窓を開け、持っていたミカンを落とす。見送りに来た弟たちへのお礼だった。

それだけだが、読後に印象的な味わいがある。家族の濃厚な絆がそこにはまだ残っているからだ。芥川の作品には、こうした家族を大切に思う精神も垣間見られるのである。