「一斉に蝉の生涯はじまる日」(後藤一秋)…


 「一斉に蝉の生涯はじまる日」(後藤一秋)。そんなはずはないのだが、セミは突然この地上に生まれ、あっという間に消えてしまう印象がある。

 最近、セミの死骸(しがい)を見ることが多い。舗道に仰向けになっているセミは、生きているようにさえ見える。死骸を処理するアリもあまりいないせいか、翌日も同じところで空を見上げている。

 セミは短い生命の象徴として取り上げられることが多い。とはいっても、生きる期間は生き物によってそれぞれ違うので、人間の感覚だけで考えることはできない。セミの句で有名なのは、芭蕉の「しづかさや岩にしみ入る蝉の声」。写生なのか心象風景なのか、判然とし難いところがこの句の魅力だ。

 特にお盆の季節に聞くセミの声は、この世とあの世を行き交うような不思議さを感じさせられる。お墓参りの時期にセミの声が欠かせない背景となっているせいもある。

 昨年に続き、新型コロナウイルス禍もあって、気流子は帰省をすることができなかった。既に両親は亡くなっている。故郷に帰ってもゆっくりするような時間はないのだが、それでも故郷の風景やセミの声の記憶は懐かしい。

 夏の風物詩ともいうべき高校野球が甲子園球場で行われている。今年は大雨のせいでスケジュール通りに進まず、順延を繰り返している。高校球児たちの熱戦を応援するのは、関係者以外にはセミたちの声だろうか。少しずつ自然の移ろいが狂ってきている気がする。