「八月や六日九日十五日」。この時期にしばしば…
「八月や六日九日十五日」。この時期にしばしば紹介される一句だ。むろん広島、長崎への原爆投下、終戦の日のことで、反戦の思いが詠まれている。気流子はこれに「二十一日も忘るまじ」と続けたい。
53年前の1968年のきょう、東欧チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」がソ連主導のワルシャワ条約機構軍の戦車によって踏み潰(つぶ)された。兵士20万人、戦車数千両の戦後最大の軍事侵攻だった。
世界中から非難の声が上がったが、日本共産党は4日間も沈黙した。同党トップの宮本顕治書記長が北朝鮮を訪問中で、金日成主席の歓待を受けていたからだ。
ようやく8月25日付の党機関紙「赤旗」に軍隊撤退を要求する声明を出したが、その中身に世間はびっくり。「兄弟党の内部問題不介入」という内輪の論理で、民主化よりも党が大事だった。
タリバンに全土を制圧されたアフガニスタンは79年12月、ソ連軍5個師団(約4万人)の軍事侵攻に遭った。その1週間前に宮本委員長(当時の肩書)はモスクワを訪問。ブレジネフ書記長と会談し関係を正常化させていた。この時共産党は10日間も沈黙した後、「米国も手を引け」とトンチンカンなことを言った。
今、共産党は中国共産党を威勢よく批判しているが所詮、兄弟党。明日は知れない。反戦を唱えるのであれば、共産党による軍事侵略をなぜ言わぬ。そんな思いを込めて「八月や六日九日十五日 二十一日も忘るまじ」と口にする。