江戸幕府の政治の中心にあったのは老中だ…


 江戸幕府の政治の中心にあったのは老中だ。将軍(歴代15人)が直接政治を行ったのは、初代の徳川家康や8代吉宗、15代慶喜など限られていた。老中の定員は4~5人。老中と言うと、名前からして高齢者のイメージが強い。だが、ペリー来航時の老中首座阿部正弘は、24歳で老中に就任し、38歳で病死した。どう考えても老人とは言えない。

 老中は今で言えば大臣級で、年寄とも言った。その下にいたのが若年寄。老中の補佐役で、定員は3~5人。今の事務次官級だ。「若い老人」という意味ではない。

 年寄は相撲の世界では今もその名が使われている。元老も、明治から大正にかけて使われた。首相経験者など、政界で重きをなした人物がそう呼ばれた。似た呼び方に長老というのもあったが、意味は元老と変わりはない。

 元勲となると元老よりもいかめしいが、こうした言葉が昔は生きて使われていた。老中・若年寄・元老・長老に共通するのは、年長の人間に対する敬意だ。

 敬意に値しない老人もいたに決まっているが、建前としてはそんな感じだった。儒教の考え方が生きていた時代だったためとも言えるし、「人生50年」の時代でもあったから、年長者そのものが数少なかったためでもあった。

 当今のメディアのように「老害」の一語で公然と高齢者を排除するようなことはなかった。時代が変われば人間に対する見方が変わるのは当然だが、排除の論理もほどほどに願いたい。