「日付は重要」だとつくづく思ったことが…
「日付は重要」だとつくづく思ったことがある。学生時代に大手出版社で、ある作家の個人全集編集の手伝いをするアルバイトをしたことがあった。その作家(故人)の自宅で、奥さんが「こんなものが見つかった」ということで、相当数の新聞記事を渡された。
その作家について書かれた記事が中心で、ざっと見ても興味深いものがあった。全集で使えないだろうかと一瞬思ったが、年月日と新聞名が書かれていない。同行した編集担当者も「その点が問題」と言った。
最終的にその記事は、全集には貢献することがなかった。無論、長い年月をかければ、年月日も新聞名も分かる部分はあったかもしれないが、企画の進行具合から見てその余裕はなかった。その作家の一側面を知る上で参考になると思われた記事だっただけに、残念なことだった。
記事は恐らく作家自身が残したものだ。自分の個人全集が刊行されるとは考えていなかったのだろう。「内容もそうだが、日付も新聞名も重要だ」とその時思った。
写真一枚にしても、日付があればよかったのにと思う瞬間はある。写真を整理していてそんなことが起きる。写真に同封された手紙が残っていても、日付が記載されていない。写真の写り具合から年齢を推測するしかない。
個人全集が刊行される人は稀(まれ)だ。「どんなものであれ、年月日は記録すべきだ」とまでは言えないが、記録するクセをつけておいた方が便利には違いない。