本の世界から「函」が激減しているとの報道…


 本の世界から「函」が激減しているとの報道があった。本を保護するのが函だ。「箱」ではない。箱となると「本箱」になってしまい、本を収納する家具の意味になる。この場合は、函館の函でなければならない。

 函が減っているとの印象は50年前ごろからあった。函が増えているという感じはしなかった。函は時間をかけてゆっくりと減ってきた。だが、それがここへきて「激減している」と言われてみると、ある種の感慨は起きる。

 それもまた、文化の変容だからだ。本が「もの」から「こと」へと変わったのだろう。「もの」には貴重品のイメージがある。貴重品だから函で保護する。百科事典や文学全集などもそうだった。

 ところが「こと」となると、その時その時に有用なだけで、用が済めば捨てられるか忘れられる。「こと」とは情報だから、貴重品として扱われるものではない。少なくとも函で保護されるようなものではない。情報そのものも質はともかく、インターネットで知ることは可能だ。

 函も含め、本をめぐる文化の流れを大ざっぱに見れば、教養主義がなくなった。ここ半世紀、教養という単語もめっきり減った。

 「教養から情報へ」という流れが強くなった。40年ぐらい前までは教養という語がまだしも生きていた。21世紀に入り、令和となった今、教養という単語は何やら気恥ずかしいものになった。函の減少は、そんな流れとも大いに関係しているようだ。