西欧をたびたび襲ったペストなど、疫病の…


 西欧をたびたび襲ったペストなど、疫病の大流行はその後の社会を大きく変えてきた。日本では天平時代の735年から737年にかけての天然痘の大流行がそうである。

 九州北部で発生した疫病は平城京にも持ち込まれ、全国に広がり、当時の人口の25~35%に当たる100万人から150万人が死亡したとする推計もある。

 疫病は当時の政界を直撃し、朝廷の政務が一時停止する事態に陥っている。政権中枢にあった左大臣の藤原武智麻呂、その弟の房前、宇合、麻呂の4兄弟が世を去った。この余波で、皇親系の橘諸兄が政権の中枢を担うことになる。

 その後は藤原氏が再び政権を牛耳ることになるが、長期的な影響では、農民に土地の私有を認める743年の「墾田永年私財法」を挙げる研究もある。疫病で農民にも多数の犠牲者が出たので、生産性を上げるための施策という。

 新型コロナウイルスの感染拡大が与える経済や生活様式の変化は、計り知れないくらい大きいように思われる。テレワークなど働き方改革が一気に進むことが予想される。

 天平の疫病大流行は、文芸世界にも影響を及ぼしたようだ。歴史家・北山茂夫は737年をもって『万葉集』の中期と後期の境とする。中期の代表歌人、山部赤人の歌がこの年以降見られず、笠金村、高橋虫麻呂も悪疫の犠牲になったのではないかという(『萬葉集とその世紀』下)。その後、大伴家持らが中心となる万葉後期が始まる。