16世紀にローマに派遣された天正遣欧少年使節…


 16世紀にローマに派遣された天正遣欧少年使節は、日本で最初に洋楽を学んだ少年たちだった。彼らを主題に『クアトロ・ラガッツィ』(集英社)を書いた美術史家の故若桑みどりさんは、音楽のことで疑問を抱いた。

 当時の洋楽は、キリシタンのオラショを除けば、弾圧ですべて消えてしまったのだろうか、と。この疑問を解き明かしたのは、先月亡くなった音楽学者の皆川達夫さん。論証と実証に基づいて筝曲「六段」はラテン語聖歌「クレド」が原曲だと解明した。

 皆川さんがラジオ番組「バロック音楽のたのしみ」や「音楽の泉」で古楽を普及させた功績は大きい。それは歴史研究と演奏活動の両輪によって進められ、過去の音楽を見事に再現して見せてくれたのだ。

 豊臣秀吉が1591年、帰国した少年使節と面会し熱心に聴いたという曲があった。その曲とは何か。皆川さんは当時の西洋音楽と渡来した洋楽を比較して、推理だと断った上で特定した。

 ルネサンス期最大の音楽家ジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ(ミル・ルグレ)」だという。こうした研究は、当時の日本の事情を考える上でも重要だ。秀吉はどのように聴いたのだろうかと想像させる。

 1965年に皆川さんがラジオ番組を始めたころ、音楽評論家からは「チェンバロは原始的な楽器」と酷評され、さまざまな反発や誤解を受けたという。だが今ではそれらは一掃されて、多くの古楽専門の演奏家を輩出している。