桜の花見シーズンになったが、新型コロナ…


 桜の花見シーズンになったが、新型コロナウイルスの感染拡大で東京では不要不急の外出の自粛が呼び掛けられている。それは仕方がないのだが、毎年花見をしているので、どうにも花の様子が気になってしまう。ようやく最近、買い物に行く途中で、東京を流れる神田川の両岸に咲く花を見掛けた。

 花は例年のようにきれいに咲いている。しかし、そこを散策する人はほとんどいないので、少しばかり寂しい気持ちになった。桜にはそれを観賞する人がいないと違和感があって、どこか落ち着かない。

 桜の開花期間は短い。どこか生き急ぎする人間の生涯を感じさせる。といっても、夜のうちに咲いて朝にしぼむ月下美人や朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうアサガオのような花もある。

 その意味では、桜だけがことさら短いわけではない。だが月下美人やアサガオに比べ、桜はパッと咲きパッと散る印象が強い。

 日本人が桜に武士道のような精神性を仮託してきた面もある。気流子が桜の開花で連想するのは、若くして夭折(ようせつ)した文学者のこと。成熟したという印象はないのだが、どこか桜のような華やかな魅力がある。

 若くして優れた作品を発表し、短い生涯にもかかわらず文学史に残る詩人や作家は少なくない。昭和14(1939)年のきょう、24歳で夭折した詩人で建築家の立原道造もその一人。その詩は叙情詩で、若者特有の清新な感傷に満ちているが、どこか心を捉える忘れ難い魅力がある。