咳(せき)(くしゃみも同じ)は、する人に…


 咳(せき)(くしゃみも同じ)は、する人にとっても周囲にとっても楽しいものではない。咳については苦い思い出がある。半世紀も前の大学のゼミ教室。授業中、咳が止まらなくなった。医師から気管支炎との診断は受けている。気になるのは教授だ。

 見ると、真向かいの席にいる教授の顔がいささか険しい。彼には昔肺病と呼ばれた肺結核の病歴がある。咳が結核とは無関係であることを何とかして伝えたい。「どうやって伝えようか」と考えるのが先で、授業も頭に入らない。

 教授が咳を嫌がっているのは分かるが、彼もそのことを他人に悟られたくはなさそうだ。その気持ちもよく分かる。そこでやっと考えついたアイデアを、休憩時間中に実行することにした。

 隣の席の学友に向かって、前後の脈絡もなく「気管支炎になってしまって、咳で困っている」とことさら大声で教授に聞こえるように伝えた。学友は「いきなり何でそんな話をするのだろう」という顔をしたが、教授に伝わればいいのだから、そこは勘弁してもらうしかない。

 休憩時間が終わった後、教授の様子をうかがうと、心なしか険しさが消えているようだった。「ちゃんと伝わったんだ」と安心した覚えがある。

 新型肺炎の当世は、咳もくしゃみもあらぬ疑いの種となる。そんな流れは楽しくはないが、現状は受け止めなければならない。「悲観する必要はないが、根拠なき楽観論も危険」という凡庸な結論になるしかない。