車谷(くるまたに)長吉(ちょうきつ)は…


 車谷(くるまたに)長吉(ちょうきつ)は2015年に亡くなった作家だが、自身へのこだわりが異常に強い人物だったようだ。そのことは、今度文庫になった高橋順子著『夫・車谷長吉』(文春文庫)の中にも詳述されている。

 中でも、大岡信(まこと)との一件は印象深い。文壇・詩壇の大先輩である大岡が車谷夫妻の結婚祝いを開いてくれることになった。ところが、車谷は「場所が気に食わない」と言いだした。会場を変更して会は行われたが、恥をかいた大岡の怒りは収まらなかった。

 変更要求は会場の問題ではなく、大岡への怒りが原因だったと高橋さんは記している。多忙な大岡は、車谷の代表作を読む暇がなかった。そこで知り合いの編集者に頼んで読んでもらった。

 そのことが、事実を知った車谷の怒りとなった。結婚祝いを辞退するわけにはいかなかったので、会場変更という手段で大岡に嫌がらせをしたというのが真相だ。

 代読を依頼した「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」は、内容は濃厚だが、文庫本で40㌻程度の短編にすぎない。代読を頼む方が面倒臭いほどだ。「短編一編も読んでくれないで結婚祝いか!?」という車谷の言い分は分からぬでもないが、会場変更を求めるのは異様だ。

 「自分の形は、相手が大先輩であっても損なわれたくない」という強い自負が読み取れる。半面、処世への関心も異様に強い人だったようだ。奇妙で不可解な個性だが、そういう人物だったからこそ、私小説(わたくししょうせつ)の名手として名を残してもいるのだろう。