許文道氏の思い出
地球だより
韓国の全斗煥政権(1980~88年)で大統領側近や閣僚など要職を務めた許(ホ)文道(ムンド)氏が他界した。記者は2008年、李明博氏が大統領に当選した直後に企画した対談で初めてお目にかかった。対談相手は駐韓日本公使当時、日韓外交の現場で奔走した元外交評論家の村岡邦男氏で、10年ぶりの保守政権誕生をテーマに論じ合ってもらった。
許氏は韓国紙・朝鮮日報の東京特派員や駐韓日本公使の広報官を歴任し日本留学経験もあるが、植民地統治時代の生まれで反日家として知られた。和食を頬張りながら行った対談で許氏は日本批判の代わりに韓国左派政権を厳しく断罪した。北朝鮮を変化に導けない「対話のための対話」や北朝鮮が核放棄をするという的外れの観測に対してだ。
許氏は大統領府のメディア担当として新聞・テレビの統廃合に大ナタを振るい、マスコミ人から恨みを買うなど国内では悪評も高かったが、晩年は日韓関係で一役買った。
反日家でありながら九州北部と韓国南東部を結ぶ日韓トンネル建設計画に賛同、計画推進へ日本で講演した時にまずは韓国人の反日感情を解消する必要があるが、覇権主義の中国を牽制(けんせい)するには日韓協力は不可欠と指摘した。日韓が近づくのはたやすくないが、大局的な見地から手を結べ、というメッセージだった。日韓が「嫌韓」「反日」を乗り越えようという矢先、さらなる出番もあったはずだが…。ご冥福をお祈りする。
(U)