動員の思い出


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
 「大統領一行を乗せたボーイング707特別機が歓迎式場の方に近づいてくる間、京畿女子高の合唱団約1000人は『大統領賛歌』を合唱した。

 空港の歓迎式が終わった後、大統領専用車がソウル大橋を過ぎて麻浦路に入ると、麻浦高校のブラスバンド部が演奏する行進曲が鳴り響く中、道路脇を埋め尽くした市民・生徒たちは太極旗(韓国国旗)と星条旗を振りながら歓呼した」

 1981年2月、米国公式訪問を終えて帰国した全斗煥大統領夫妻歓迎式を報じた記事の一部だ。映画『殺人の追憶』にもよく似た場面が登場する。70、80年代に学生時代を過ごした人たちは、こうした思い出を一つぐらいは持っている。大統領の行事や何々決起大会の度に授業を休んで動員され、街や広場をほっつき歩いた記憶だ。

 白黒写真のように残っていた記憶をこと新しく取り上げたのは、ある動画のためだ。白いスカートの上でぎゅっと握りしめた手、赤くなった鼻と固く閉じた唇、黒い靴の中で足の指を動かしながらぶるぶる震えている子供たち。去る26日、国会で開かれた故金泳三元大統領の告別式に参加した九里市立少年少女合唱団の団員たちだ。約2時間続いたこの日の行事の最後に組み込まれた追悼曲『青山に生きる』を歌うために待っている姿だ。雪の舞う寒波の中、マフラー、コート、毛布で重武装した貴賓たちとは対照的だった。

 「引率者と父兄がジャンパーと毛布を要請したのに、カメラに映るとよくないという理由で断られ、子供たちは行事が終わった後も体がこわばってうまく歩けない状態で、涙まで流した」というツイッターの投稿は1600回以上、リツイートされた。

 主催側の非常識な対応に対するネティズンの批判が続くと、事実上の喪主の役割を果たした金元大統領の二男、賢哲氏が27日、ツイッターを通して公開謝罪した。肝心の、国家葬の告別式を進行した行政自治部(部は省に相当)側は28日になって初めてキム・ヘヨン儀典官の名前でSNSに謝罪文を書き込んだ。葬儀執行委員長の鄭宗燮・行政自治相の発言はない。

 彼の公式フェイスブックには大邱の行事の写真2枚が載っている。大邱で国会議員への出馬説が広まっている彼は2日間、この行事に参加した後、告別式の前日に帰京した。今度の動画問題は「心ここに在らず」の大臣と、月日がたっても変わらない公務員集団の権威主義が生んだ合作品だ。 

(12月1日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。