女性・女系天皇を容認した「有識者会議」答申の復活をもくろむ朝日
◆譲位通常だった日本
令和の時代が始まり、10連休も明けて1週間余。いつもの生活に戻ったようだ。とはいえ、新天皇の儀式は10月の即位の礼、11月の大嘗祭へと続き、御代(みよ)替わりの話題はまだまだ尽きない。
天皇の譲位は江戸期の光格天皇以来、実に202年ぶりだったが、日本史家の磯田道史氏によれば、むしろ譲位するのが日本の皇位継承の特徴だという(読売8日付「磯田道史の古今をちこち」)。
それによれば、江戸期には十代後半の跡継ぎが得られると譲位するという無言のルールがあった。近世天皇は天皇としての務めが果たせる皇嗣を育てて譲位するのが理想とされた。ところが光格天皇以降、それができなかったのは江戸期の宮廷は幼児の保育に向かない苛酷(かこく)な環境で、3歳までに世を去る方が多かったからだという。明治からは伊藤博文が天皇を「終身在位」で制度設計したため、退位する天皇がおられなかった。それで今回の譲位儀式は現行憲法下の「新開発」としている。
それにしても3歳までに世を去る方が多かったとは、江戸期の皇室の置かれた立場がうかがい知れる。この苛酷さは民草も同じで、一説によれば、江戸期の子供の半数は5歳までに亡くなった。江戸期がそうなら、古代はさらに苛酷で、令和の出典となった『万葉集』にある梅花の宴に陪席した山上憶良は「我が子の死を悼み恋うる歌」を歌っている。令和の発案者とされる中西進氏は『悲しみは憶良に聞け』(光文社)と述べているほどだ。
そういう辛苦の時代を越えて令和の126代天皇が即位された。それも万世一系(男系)である。そして我ら国民もまた、生きてこの国にある。そう考えると、歴史と伝統の重みに思いをはせざるを得ない。今回の譲位儀式が「新開発」としても、今後、何を守り、何を新しくするのか、とりわけ皇位の安定的継承のありようが問われる。
◆メンバーは皆門外漢
この論議でしばしば持ち出されるのが、平成17年に小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関である「皇室典範有識者会議」がまとめた女性・女系天皇を容認する答申である。歴史と伝統を顧みず、「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にあることは各種の世論調査等の示すとおり」とジェンダーフリーを振りかざし、「象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件」と戦後的価値を全面にうたった。これを朝日と毎日のみならず、読売もほめそやした。
そんな答申の復活を朝日はもくろんでいるようだ。11日付に有識者会議の一員だった古川貞二郎氏(元内閣官房副長官)のインタビュー記事を載せ、「皇位継承維持へ『女系』容認含め早急に議論を」と強調している。
周知のように新元号の選定をめぐっては日本文学や中国文学などの大家が大いに知恵を絞った。それで令和が生まれた。ところが、有識者会議は皇室に関する専門家がおらず、座長はなぜかロボット工学専門の元東大学長。古川氏は厚生畑の人で、かの「村山首相談話」を評価する。いずれのメンバーも門外漢だった。
◆「結論ありき」の答申
座長代理の園部逸夫・元最高裁判事は立派な法学者ではあるが、こと皇室に関してはどうか。産経の今年1月8日付「話の肖像画」のインタビューで、記者から答申について「(女性・女系の)『結論ありきでは』『結論を出すのが早過ぎる』との反対意見も出た」がと聞かれ、「『結論ありき』と言われれば、そうかもしれません。小泉首相の強い意志があって設置された会議ですからね」と述懐している。
今後の皇位継承論議でこんな愚を繰り返してはなるまい。そこで英思想家エドマンド・バークの忠告に耳を傾けておきたい。「祖先から継承してきたものを、ある世代が自分たちの勝手な思い込みや薄っぺらな考えで改変することは許されない」(『フランス革命についての省察』)
(増 記代司)