個人社会か伝統的家族を守るのか高まるリベラル紙と保守紙の論争

◆平成を回顧する特集

 平成から新たなみ代へと移る歴史的な年が明けた。新時代の一歩を刻む、希望溢(あふ)れる新年としたいものだ。

 年末の新聞には平成30年間の回顧モノが溢れたが、目を引いたのは毎日30日付の「平成という時代 日本の世論2018」。埼玉大学社会調査研究センターとの共同の世論調査で、平成時代の出来事で特に印象に残ったものを問うている(複数回答)。

 それによると「東日本大震災と福島第1原発事故」が78%で最多。「地下鉄サリン事件」(70%)、「米国同時多発テロ」(67%)、「阪神大震災」(66%)がこれに続き、この4項目の数字が突出して高い。同センター長の松本正生教授は「二つの大震災と原発事故、テロが人々に与えたインパクトと、その後の報道による記憶の相乗作用の表れだろう」と指摘している。

 とりわけ興味深いのは中面の特集にあった「モノから家族へ 得た・失った、共に1位」との調査結果だ。平成時代に「何かを得た」と「何かを失った」を聞いたところ(自由記述)、「得た」で4割を占めたのは「家族」「子供」「孫」などでITや便利さ、仕事などを引き離して断トツに多かった。「失った」も「親」「家族」「父」「夫」などが最も多く、これに「心」「つながり」「思いやり」が続いた。

 戦後、四半世紀を振り返った1970(昭和45)年調査でトップだったのは、得たが「物質、品物」、失ったが「心」。記事は「戦後の復興や高度経済成長を経た昭和と平成では、国民の意識にも変化がうかがえる」としている。家族については当たり前の存在だったが、大震災などを通じてその大切さが改めて心に刻まれたようだ。

◆家族の大切さは不変

 米国では1960年代に社会学者ホームズらによる「社会的再適応評価尺度」がある。日常生活のさまざまな出来事を挙げ、それに伴う精神的エネルギー(プラス・マイナス評価)を数値化し、どんな出来事が最も幸福であり、また不幸であるかを測定したものだ。

 結果は、最大の幸福は出会い(結婚、出産など)、最大の不幸は別離(死別、離婚など)で、いずれも家族にまつわる出来事だった。大久保孝次・早稲田大学教授は放送大学の面接受講生1069人を調査し、日本人もほぼ同じ結果だったとしている(放送大学教育振興会『ライフコース論』1995年刊)。

 いつの時代、どこの国にあっても家族の大切さは変わらない。世界人権宣言は「家庭は社会の自然かつ基礎的な集団単位」とし、社会や国の保護を受ける権利を有するとしている(16条)。とすれば、家族をどう守るのか、国にそんな支援策があってもよさそうだが、こと家族となると朝日などリベラル紙は「戦前回帰」などと目の敵にする。

 初めて少子化が問われた1990年代当時、厚生省児童家庭局で福祉課長だった大泉博子さんは、本紙のインタビューの中で少子化を単なる保育事業でなく人口政策で臨めば食い止められたと振り返り、「(人口政策の)“じ”の字を口に出しただけで、マスコミやリベラル派にぼこぼこにされる、そんな時代でもあった」と忸怩(じくじ)たる思いを語っている(12月20日付)。

◆朝日は家族条項批判

 これは今日にも続いている。リベラル紙は人口政策に戦前の「産めよ殖やせよ」政策とのレッテルを貼る。自民党が改憲草案に家族条項を新設したり、家庭教育支援法の制定を目指したりすると、たちどころに朝日から「逆立ちした発想」といった批判を浴びる(17年2月19日付社説)。

 朝日は30日付から「エイジング・ニッポン」との全9回のシリーズを始め、「老いる国家に効く対策は簡単ではない。日本の将来を案じ、現状にあらがう人々を取り上げる」(真鍋弘樹・編集委員)と言うが、家族の視点は乏しい。

 老いる国家に効く対策は大泉さんに言わせれば、「産む性に対する尊重」という価値観に及ぶ教育だ(21日付)。個から家族への転換が「効く対策」と思われるが、これに朝日はあらがっている。

 立憲民主党は通常国会に「同性婚法案」を提出し、参院選には同性愛者を立候補させるという(毎日30日付)。何でもありの個人社会か、それとも伝統的家族を守るのか。リベラル紙と保守紙の論争が新年に高まる予感がする。

(増 記代司)