貴乃花など“時の人”に発言の場を提供するも掘り下げ不足だった文春

◆新聞TV報道も批判

 週刊誌は“時の人”をつかまえて話を聞くのが商売だ。それも守勢に立たされていたり、なかなか大手メディアで取り上げられない人の声を引き出して伝える。新聞TVの逆を突いて、読者の“情報飢餓感”を満足させるやり方で、週刊誌の常套(じょうとう)手段でもある。

 大相撲の貴乃花親方「退職」騒動では、普段あまりメディアに語らない、というか、何を考えているかよく分からない親方をつかまえて週刊文春(10月11日号)がトップで伝えた。「独占告白、相撲協会は私を潰しにきた」という内容だ。

 日本相撲協会が「一門所属」という新ルールを打ち出し、なおかつ所属にはまず親方が出した「告発状」を否定するとの前提条件を付け、事実上、貴乃花部屋の存続を不可能にして、親方を追い込んだという主張だ。

 同記事を見れば、単純に協会側は貴乃花を潰して角界から追い出そうとし、だから、親方は「弟子たちに相撲を続けさせる」ために「苦渋の決断」として弟子たちを他の部屋に移籍させ、自ら「退職」するしかなかったという話になる。

 八角理事長(元横綱北勝海)は「最終的には高砂一門で引き受けようと思っていたが、話し合いすらできなかった。残念だ」と述べて、あくまで大横綱だけに与えられる一代年寄貴乃花の名跡を残そうと“努力”したように伝えられている。

 これに対して、文春は「相撲協会は、ただ一人去っていく貴乃花の主張にことごとく反論し続けている。そしてメディア側も協会側に同調、あるいは忖度する情報を連日、流してきた」と協会だけでなく、メディアも批判した。つまり、メディアも貴乃花親方の主張を十分に伝えていないという指摘だ。そこに週刊誌として「独占告白」を取る意味があるというわけだ。

◆次は八角理事長を

 そもそもこの騒動終始は横綱日馬富士による貴ノ岩殴打傷害事件(2017年10月)で表面化した大相撲内の諸問題、協会理事会内での対立等々が全て絡まって、今日の貴乃花退職という事態になったもので、大相撲や協会の在り方に対する考え方の違いなど、問題の根は深い。

 両者が十分な話し合いを行わなかったという点で双方に責任がある。「話し合えば分かり合える」と“青い”ことを言うつもりはないが、少なくとも国技を担う団体内の騒動をファンや国民に開示する責任はある。週刊誌を通して自分の主張をぶちまける貴乃花のやり方にも問題があると言わざるを得ない。次は八角理事長に思いの丈を聞いてみるのもいいのではないか。

 貴乃花に主張の場を提供した文春は同号でもう一人に発言の機会を与えている。文芸評論家の小川榮太郎氏だ。LGBT(性的少数者)に関する記事で月刊誌「新潮45」は休刊に追い込まれた。週刊新潮はさすがに扱いにくいだろう。何しろ「痴漢する男は制御不可能な脳由来の症状だから社会が保障すべき」というレトリックを使ったのだから。

◆安易な人物評に終始

 今、最も扱いにくい「小川榮太郎」という素材を、あえてライバル誌が取り上げるというのも週刊誌ならではの企画である。しかし小川氏の考えを聞くというより、揶揄(やゆ)するトーンに終始し、肝心の「なぜあんな修辞を使ったのか」を掘り下げていないのが非常に残念だ。

 小川氏は「この文章は、小林(秀雄)さんや福田(恆存)さんを読みこなす力がないと、真意を読みそこなっちゃう」と述べている。その「真意」を突っ込んでほしかった。取材記者が小林秀雄や福田恆存を分かっていたのかどうか…。

 「直撃150分」という割には引用掲載された小川氏の発言は記事全体の2割にも満たない。あとは“安倍応援団長”ぶりや“揉め事”“副業”のことばかり。小川氏を「いかがわしい」人物と思わせようとする意図が見え見えだ。「LGBT」「人権」「休刊」「言論の自由」など、腰を据えてかからなければならない話題は避けて通り、安易な人物批判だけして、これで同誌は読者のどんな共感を得ようとしたのだろうか。

 自らも人権問題で追及されて月刊誌「マルコポーロ」を廃刊した経験のある文藝春秋社としては、もっと正面から取り上げてみるべきだったのではないか。

(岩崎 哲)