「非核三原則」の見直し促す石破発言を高飛車に批判する左傾紙の空想論
◆防衛論議に一石投ず
「石破砲」というのは大げさだが、スキャンダル暴きの「文春砲」よりは重要な問題提起だった。自民党の石破茂・元防衛相が6日のテレビ朝日の番組で、核実験を強行した北朝鮮への対応策として「非核三原則」の見直し議論を始めることを促し、ミサイル防衛論議に一石を投じた。
石破氏は「米国の核の傘で守ってもらうといいながら、日本国内にそれ(核兵器)は置きません、というのは本当に正しい議論か」と問い、抑止力としてそれで十分なのか、「『持たず、作らず、持ち込ませず、議論もせず』で、どうやって責任を取るのか」と持論を述べた(朝日7日付)。
これは頷(うなず)ける。北朝鮮が日本上空を飛び越すミサイル発射に続いて6度目の核実験を強行し、「核ミサイル危機」が身近に迫っている。韓国の世論調査では在韓米軍への戦術核の配備(持ち込み)に60%が賛成している(読売10日付)。日本より危機感が薄いと伝えられる韓国でさえ、これだ。わが国が論議もしないというのは能天気すぎる。
ところが、琉球新報は「国是と不拡散に反する」(7日付)、毎日は「目先の対処でゆがめるな」(9日付)と猛反発している。本紙8日付社説は石破発言を評価し、「対北抑止力強化のため検討を」としたが、琉球新報も毎日も頭ごなしに議論ノーだ。
琉球新報は「唯一の被爆国である日本は非核三原則を堅持し、核不拡散を主張してきたはずだ。石破氏の発言は国是と、不拡散の約束を破ることになる。あまりにも冷静さを欠いている。石破氏は直ちに発言を撤回し、国民に釈明すべきだ」と高飛車に言う。
◆大げさすぎる「国策」
非核三原則が「国是」で、見直しは「不拡散」の約束を破ることになるというのはウソだ。三原則は1967年、小笠原諸島が返還される際、核兵器の有無を野党から問われた当時の佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を示したことに由来する。
「持たず」「作らず」については国際原子力機関(IAEA)に加盟し、核拡散防止条約(NPT)を批准し法的に禁止されている。原子力基本法(55年)も平和利用に限っており、2原則には法的規制がある。拡散はこの2原則を破り、核保有国になることを言う。
これに対して「持ち込む」は拡散には該当しない。これは世界の常識だ。現に米国の核を持ち込んでいるドイツやイタリアを核保有国とは誰も呼ばない。琉球新報の解釈は間違っている。
「持ち込ませず」には法的拘束力がなく、時の政権の選択した政策と解するのが妥当だ。「国策」(国家の基本方針)というのは大げさすぎる。
実際、佐藤首相は「非核三原則の『持ち込ませず』は誤りであったと反省している。この辺で、不完全武装だからどうすべきかということをもっと明らかにすべきであろうかと考えている」と後悔の念を漏らしている(69年10月7日「外務省文書」=読売2010年3月10日付)。
それで佐藤首相も見直しを考えたが、その機会を逸し「この辺で」が実に半世紀近くに及んだ。直近の論議を見ると、2009年にオバマ米前大統領が「核なき世界」を掲げた際、米国の「核の傘」への信頼が低下し、いずれ「持ち込ませず」では抑止力が維持できなくなるとの議論が起こり、「拡大抑止」(核を含む多様な抑止力)との概念も生じた。
◆「議論せず」の四原則
当時、毎日の金子秀俊・専門編集委員は「かつて日本周辺に展開する米軍艦には小型の核を搭載した巡航ミサイル『トマホーク』が装備されていた。冷戦後、核は外されたが、北朝鮮の核の脅威が生まれたいま、…トマホークによる『拡大抑止』が復活しないか」とし、「日韓が拡大抑止ここにありと誇示するには、核付き米軍艦の寄港という手がある。核密約の時代が終わり、『非核二原則』の時代が来るのだろう」と“予言”している(09年7月2日付夕刊)。これを当の毎日はどう考えるのか。社説は見直し論を「国是を生んだ歴史的・多面的な議論の積み重ねを軽視」しているとするが、そんな積み重ねはどこにもない。三原則どころか「議論せず」の四原則に陥っている。議論まで否定するのは非民主主義的発想だ。左派紙はいつまで観念的空想論にしがみつくのか。
(増 記代司)