社会保障の将来的全体像の必要を指摘すべきアエラ「子供の貧困」特集
◆「選挙用」は決め付け
アエラ7月4日号で、「すぐ隣にある『子どもの貧困』」と題して特集し、ジャーナリストの池上彰とNPO法人「Living in Peace」理事長、慎泰俊が対談している。今、問題となっている子供の貧困について、両者は「子供への圧倒的資金不足」をその理由に挙げている。これは妥当な見方だろう。では、なぜ政治は子供への支援が薄いのか。
池上は「一方で、参院選挙前に低所得の高齢者に一律3万円を配る究極のバラマキをやるのは、そういう人たちが投票に行くから。社会的養護が必要な子どもたちは選挙権を持っていないし、保育園で困っているママさんたちも忙しいから投票にいかないことが多いし、行くにしても数は限られている。『シルバー民主主義』なんです」と指摘。
慎も「今の日本の状態は、大切な設備投資をケチっている会社と同じなんですよね」と語る。確かに池上の話すように、老人偏重は選挙用、ということはさもありなん。しかし、こんなことはずっと続くわけがない。問題は、子供に対する支援が相対的に薄いと、大方の人が知り憂慮していながら、なぜ是正できないのかだ。これについての回答は両者とも持ち合わせがないと見えて、その後の議論の中に出てこない。
わが国の社会保障は、従来、医療は医療、年金は年金、福祉は福祉と個別に論じられ、支給されてきた。20年ほど前から、財政問題との関わりで、社会保障についての関心が高まってきたが、縦割り的な行政を変えることができず、社会保障の全体的な将来像が描き出されていない。依然、それぞれの分野がばらばらに検討され、それで済まされている。このことが現状を変更できない大きな理由だ。
◆社会保障の3モデル
また、池上は「日本やアメリカでは児童養護施設の子どもが大学まで行くなんて贅沢だ、なんで家庭の税金でよその子の学費を出さないといけないんだという反感みたいなものがある」と発言している。しかしアメリカはともかく、日本で、そういった主張が主立っているのか、筆者はそうは思わない。むしろよく頑張った、立派だと見られる。
社会保障は、主に三つのモデルがあり、イギリスやスウェーデンなど福祉のほとんどを税金で賄う普遍主義モデル、ドイツで用いられる社会保険モデル、そして自助努力に委ねて政府はあまり関与せずといったアメリカ的なモデルがある。しかし日本はドイツのモデルを出発点に、普遍主義モデルの要素を次第に取り入れてきた。こういう歴史的経緯を見ても分かるが、日本人は再分配に割と理解があるように思う。
ただし、戦後のいきさつから、日本の社会保障制度は、継ぎ足し、継ぎ足しを繰り返したことから、制度の基礎や考え方がはっきりしていないという難がある。これが前述の社会保障の全体像を今もって決することができない要因の一つだ。
同特集では、各党に、子供の貧困問題についての政策を聞いている。「世代間の給付と負担の公平の確保を図っていく」(自民)、「高齢者向けを削って子ども向け予算に回す、という発想では問題の解決にならない。両方増やす」(共産)、「社会保障の重点は子ども・子育て支援にシフトさせるべき」(維新)、「(高齢者と子育て世代への予算配分は)1対1にできれば良い」(生活)などと回答。各党とも、子供向け予算については相当の配慮を傾けている。
◆「公平」の理念生かせ
その中で、いわゆる福祉の理念について言及しているのは自民党で、「公平」という言葉が前面に出ている。同党は社会保障全般について「年齢で区別するのではなく、負担能力に応じた負担を求める」とも言っており、「公平」「平等」という理念を押し出している。ここから社会保障の将来像が生まれてこないか。公平、平等といった統一的な理念を積極的に掲げてきたのは、目新しいところだ。今、社会保障についても、原理原則的な問題が真正面から問われるべき時代になった。
記事では、最後に首都大学東京教授で、「子ども・若者貧困研究センター」のセンター長を務める阿部彩さんの「貧困は高齢者層でも深刻で、世代間の対立をあおるのは違う。年齢ではなく所得階層でしっかり負担と給付を見直すことが大切です。(後略)」のコメントで締めている。
しかし、もうひと押し、社会保障の全体的な将来像を確立し、そこから子育ての支援を充実させていく必然性を明確に導き出す必要を指摘すべきだ。(敬称略)
(片上晴彦)