「遅桜一本にして大樹なり」(高浜年尾)。
「遅桜一本にして大樹なり」(高浜年尾)。東京地方では桜の花びらが落ち、道路や川が覆われ始めている。その光景を見ると、開花までの期待、満開での花見、そして幻想的な落花、川では花筏の中での舟遊びなど、桜でさまざまな楽しみ方が味わえることが分かる。
春は卒業式や入学式などが行われ、長年一緒に学んできた友人との別れ、そして新しい出会いを迎える季節でもある。そんな季節に、桜が色を添えてくれるのを改めて実感する。先日、桜を鑑賞しながら知人と学生時代のことを語り合った。
気流子の学生時代は、大学紛争の真っ盛りで、キャンパスが全共闘などでロックアウトされていた。そんな中でも、桜だけは時が来れば変わりなく咲き、散っていった。
桜の下では学生のサークルが宴会をしていたが、盛り上がりに欠け、どこか寂しい光景に思えた。入学式当時は桜が散ってしまっていて残念だったことを覚えている。
今期は寒い日があったためか開花時期が長く、入学式でも桜が咲いていたようだ。一生に一度の入学式に、桜が祝うように咲いている光景はきっと忘れ難いものになるだろう。
桜の開花には間に合わなかったが、その代わりというか、大学の校舎のある駅の土手に菜の花が一斉に咲き誇っていた光景は衝撃的だった。無機質な都会の中で、黄色が躍動するように見えた。花が人間の心に与える影響を再確認した体験だった。