<春は名のみの風の寒さや/谷の鶯歌は思えど…


 <春は名のみの風の寒さや/谷の鶯歌は思えど……>。唱歌「早春賦」の冒頭である。関東に春一番が吹いたと思ったら、直ぐに冬の気温に逆戻り。水戸では雪が降るなど、春浅い今の季節、この歌を口ずさみたくなる。

 日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」にも選ばれたこの歌、『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表であった吉丸一昌の詞に中田章が曲を付け、大正2(1913)年に発表された。長野県大町に中学の校歌を作りに来ていた吉丸が、大町や安曇野あたりの早春の情景を歌ったものという。

 ただ歌詞で鶯の気持ちに託して早春の情感を歌うのは『古今集』の歌からきたものだろう。

 『古今集』巻一春歌上の第4歌に<雪の内に春はきにけりうぐひすのこほれる涙今やとくらむ>(二条后)がある。ほかにも<春きぬと人は言へどもうぐひすの鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ>(壬生忠岑)などがある。

 歌の心からすれば、「早春賦」は古今集の歌の本歌取りと言っていいだろう。吉丸は熊本の第五高等学校を経て東京帝国大学の国文科で学んだ。当然、和歌の伝統を素地として作詞に当たったと思われる。

 古今集は、日本人の季節感や情緒を育む上で、決定的な影響を与えた歌集と言われる。醍醐天皇の命によって編纂されたのが延喜5(905)年。1000年を経て、その歌の心が大正そして現代にまで続いていることに驚く。