信楽焼は滋賀県の信楽地方で焼成された陶器だ…
信楽焼は滋賀県の信楽地方で焼成された陶器だ。中世の頃から壺や甕、鉢などの焼き物作りが始められた。陶芸家で天祖神社宮司の宮川憲一さんは、この地方の焼き物を研究してきた一人。
信楽焼は桃山期になると武野紹●(=鴎のメを品に)や千利休らが取り上げて茶器に用いるようになった。が、元は農民が植物の種を保存するための種壺で、今では最も高価な壺として貴重視されている。
「ひもじい時には、種壺の米に手を出したい思いだったでしょう。しかし、食べちゃうと、来年米ができない。なんとしても来年のためにその米を保存しておかなければならない。それは大変なことだった」。
宮川さんが小紙にこの話をしてくれたのは1990年の「建国記念の日」特集。天祖神社は東京都葛飾区堀切にあって、そこが対談の場所だった。相手は国文学者で立正大学名誉教授だった故・竹下数馬さん。
竹下さんは歩いて調べる文学者で『文学遺跡辞典』の編纂者だった。万葉集から「鳰鳥(にほどり)の葛飾早稲をにえすともその愛(かな)しきをとにたてめやも」と東歌を引いて葛飾を紹介。その早稲が新嘗祭(しんじょうさい)に用いられたと語った。
天皇陛下は田植えをされ、刈り入れをされ、伊勢神宮に捧げられる。宮川さんはそれを「日本人みんながしてきた」と言い、天の恵み、水の恵みにも感謝して、それが春、五穀豊穣を祈る祈年祭になったと解説。飽食の時代と言われるが、祖先の苦労に思いを馳せたい。