「日本人の良質な精神取り戻せ」2020年五輪・パラリンピックの東京

元関東都市学会会長 横濱プロバス倶楽部副会長 中村實氏に聞く

 1964年の東京五輪が日本の高度経済成長の始まりを告げる大会だったのに対して、2020年の東京五輪は成熟した世界都市で開かれる大会を目指している。では、そこで世界の人たちが目にする東京はどんな街になっているだろうか。都市問題に詳しい中村實(まこと)さんに期待と展望を伺った。

(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

お節介な人を増やせ/浪費から活費の時代へ
伝統的な江戸の祭りで歓迎されるおもてなし

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元関東都市学会会長 横濱プロバス倶楽部副会長 中村實氏

 ――1964年東京五輪の思い出は?

 東海道新幹線が10月1日に開業したが、その前に小田原市鴨宮と平塚市との間の試験走行に、当時勤務していた横浜銀行の社内報の記者を伴って乗ったことがある。10月1日には東京発19時くらいの新幹線こだまに乗って熱海まで行き、その日は小田原の独身寮に泊まり、翌朝、出勤した。

 東京五輪に合わせて首都高速道路や東京モノレール羽田線が開業して日本中が沸き返り、まさに戦後復興の終わり、高度経済成長の始まりを告げる大イベントだった。

 ――五輪に間に合わせるため、江戸時代からの運河の上や運河をつぶして首都高速道路が造られた。

 東海道五十三次の始発点である日本橋が首都高速の下になり、汐留から銀座裏にかけての半地下構造の首都高速道路は、かつての川を高速道路にしたものだ。当時、自動車でそこを走ると、道路の側壁に川面の汚泥の跡が残っていた。景観や文化よりも経済合理性が優先される時代だった。

 ――2020年東京五輪の競技会場の半分は、夢の島という東京湾をごみや残土で埋め立てた人工島の上に造られる。

 晴海埠頭(ふとう)に建設される選手村を中心として、半径8㌔圏内に85%の競技会場を配置した、成熟した世界都市の五輪としてコンパクトな大会になることが大きな特徴だ。臨海部では、東京港に浮かぶごみと残土の埋立地を、募金や都民の参加による植樹によって、緑の森に変貌させる「海の森」づくりが進んでいるのも時代を象徴している。新設される多くの競技場や選手村は、夢の島公園のように、急成長した東京から出た廃棄物や残土を埋め立てた上に建設される。

 ――どんなまちづくりを期待するか?

 選手村の収容人数は1万7千人で、一つの町の人口に匹敵する。大会後は「国際交流プラザ」として、国際交流の拠点となることを目指し、文化・教育目的の複合施設と住宅との開発が検討されている。東京都は、選手村が成熟社会のモデルの街として発展することを展望している。

 選手たちが宿泊する施設は、五輪が終わるとマンションとして分譲・貸与され、民間事業者は採算を取ることになっている。晴海埠頭は建設残土や浚渫(しゅんせつ)によって造成された土地で、今は駐車場などの更地になっている。地理的には銀座のほか、エンターテインメント施設や未来型の建築物が立ち並ぶ臨海都市・お台場にも隣接している地域なので、人気が高まるだろう。

 ――メダル獲得も重要だが、スポーツ文化の振興が大きな目標になっている。

 地域にスポーツが根付くには、クラブチームの育成が大切だ。高齢者の医療費増加に頭を悩ませた北海道のある自治体が、女子大生をインストラクターにして、ゴルフを簡単にしたニュースポーツを普及させたことがある。大学と地域の交流の場としても望ましい。

 体罰が問題になっているが、スポーツの目的が人づくりにあることを改めて認識すべきだ。部活にありがちな勝つためのスポーツ、大人になってからは見るだけのスポーツから、健康を含め自分づくりのスポーツに発展させていくことが大切。スポーツ施設に恵まれた地域なので、スポーツ健康まちづくりが期待できる。

 ――パラリンピックには世界から多くの障害者がやって来る。

 これを機に、都内各所のバリアフリー化が進むことが期待される。地下鉄など長い階段のある所にはエレベーターやエスカレーターの設置が必要だが、敷地のゆとりがあればスロープを付けるだけでもいい。また、通りかかった人が車いすを押して手伝うなどの「おもてなし」の心も、子供の頃からのボランティア体験などで培うとよいだろう。

 ――どんな緑を東京に増やせばいいのか。

 世界的な生態学者である宮脇昭・横浜国立大学名誉教授は、「潜在自然植生」という考えから、その土地本来の樹木による森の再生、「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」を進めている。海の森も同じ考えで、東京本来の植生での緑化が行われている。

 東京都は2013年度に「江戸の緑を復活しよう」という事業を立ち上げ、区市町村と協力しながら、まずは公共施設に東京の郷土種の樹木を植える取り組みを始めている。水と緑のネットワークが形成されると、本来、そこに生息していた昆虫や鳥類、小動物などの回復につながる。

 近代街路樹の発祥の地は横浜で、中区の馬車道に整備された。伝統的には日光の杉並木や東海道の松並木のように、風を防ぎ、通行者に木陰を提供するために植えられた。五輪の会期も夏なので、緑の木陰があると人々の憩いの場となる。大きな公園のほかに、道のところどころに小さなポケットパークや休み石(ベンチ)などを整備して、選手や市民が休めるようにしたらいい。選手と市民との交流の場にもなる。

 ごみの山の上に造られた海の森を五輪会場の馬術競技に使うのは、捨てたごみを活かすことで、これからの「浪費から活費の時代」を象徴している。2020年東京五輪がそのきっかけになるとよい。

 ――水と緑に包まれた世界都市・東京になる。

 国内外の都市に比べても東京に緑が多いのは、江戸時代から広い庭園を有する大名屋敷が多く、神社や寺院などの鎮守の森が守られてきたことが大きい。

 ――五輪の28競技中、15競技の会場が集中する江東区では山崎孝明区長が、山王、神田と並ぶ江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」で外国人をもてなそうと構想している。

 日本に観光に来た外国人が望む一つは、古い文化に触れることだ。浅草寺はいつも外国人客であふれているし、その意味では、伝統的な江戸の祭りでもてなそうというのは素晴らしい。現在の東京が、江戸時代の遺産の上に成り立っていることが理解されるだろう。

 滝川クリステルさんがプレゼンテーションで紹介した「おもてなし」の文化は、人口が密集して暮らした江戸で発達した。ホスピタリティーは日本語で言えばお節介で、いい意味でのお節介な人が増えないと、これからの都会はますます暮らしにくくなる。

 ――日本の国柄を示す五輪であってほしい。

 クーベルタン男爵が1940年の五輪を東京で開催しようとしたのは、東洋とくに日本の文化を学びたかったからだ。それくらい、当時の日本は世界から注目されていた。2020年東京五輪に向けて、日本人の良質な精神を取り戻すことが一番大切なことだと思う。

 昭和9年横浜市生まれの中村さんは、慶応大学経済学部卒業後、横浜銀行に入り、秘書役代理、企画部副部長、はまぎん産業文化振興財団理事・事務局長などを歴任した。都市や観光に関心を持って研究し、まさに横浜の生き字引。退職後は、千葉商科大学講師、東北文化学園大学総合政策学部長、関東都市学会会長などを務めた。現在、神奈川県立保健福祉大学非常勤講師、かながわデザイン機構監事などを務める傍ら、NHK文化センターなどで横浜の街と歴史を紹介している。プロバス倶楽部はイギリスで始まった社会奉仕団体。著書に『初めての地域交通観光論』『おもしろ年賀状』などがある。