「夫婦別姓」容認の各社説など「家族の多様性」論に欠ける子供の福祉
◆「個」を理由に正当化
本紙27日付論壇時評に「家族の復権」と題する月刊誌「正論」12月号の特集が紹介されていた(森田清策・編集委員)。テレビも新聞も「家族の多様性」を理由に同性婚の容認論に染まっているが、容認論は子供の福祉を抜き去っており、婚姻制度を壊して国を滅ぼす。池谷和子・長崎大学准教授らのそんな指摘が印象的だ。
このことは夫婦別姓にも通じる。最高裁は近く夫婦別姓訴訟への判決を下すが、新聞には別姓容認論が目立つ。日経6日付社説「選択的夫婦別姓を前向きに」は、選択制は別姓を強制するわけではないから、不自由な思いをする人がいるなら、その悩みを受け止め、異質だといって排除しない。「そんな多様性を認める発想こそ、成熟した社会に必要」と論じる。
同じく朝日7日付社説「問われる『憲法の番人』」は、「めざすべきは、個を大切にし、多様な家族を認め合う寛容な社会だ。実質的に女性が姓の変更を強いられており、正当化できない」と、同姓への違憲判決を期待する。
地方紙を見ても「普遍的な人権の尊重を」(東京5日付)「多様性認め合う社会に」(京都8日付)「時代に合わせ規定改正を」(新潟日報8日付)「時代遅れの不合理改めよ」(琉球新報10日付)等々、別姓賛成論ばかりだ。どれも切り口は金太郎飴のように同じだ。
これら社説のどこにも子供の福祉の話が出てこない。見事なまでに抜き去っている。人権論者はしばしば「子供の最善の利益」(児童権利条約の基本原則)を口にするが、ここではまるで忘れ去られている。と言うより、意図的に隠蔽しているのだろうか。
◆別姓選ばぬ「賛成」も
朝日は「実質的に女性が姓の変更を強いられて」いるとするが、民法は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」(750条)としており、どちらを選ぶかは自由で、女性に姓の変更を強いていない。
厚生労働省の人口動態調査によれば、2014年に結婚した夫婦のうち夫の姓を選んだのは96・2%に及ぶ。それをもって朝日は実質的に強いられているとしたいのだろうが、何を根拠にそう断じるのか、定かでない。
夫婦別姓について朝日世論調査(10日付)は「賛成」が52%で、「反対」の34%を上回ったと、鬼の首をとったかのように1面で報じている。だが、中面の「質問と回答」を見ると、「夫婦別姓を選べるとしたら、どちらを選びたいと思いますか」の質問に対して、「夫婦で同じ名字」は78%、「夫婦で別々の名字」は11%という結果だった。
回答者にリベラル派が多いと思われる朝日調査をもってしても別姓にしたいのは1割程度だった。圧倒的多数は同姓を選ぶ。このことを記事では触れず、別姓賛成が多数と書き立てるのは詐欺的手法だ。ここでも子供の福祉は吹き飛んでいる。
これに対して八木秀次・麗澤大教授は産経17日付「正論」で「夫婦別姓容認は家族の呼称廃止を意味する」と別姓に反対する。家族が同じ姓を名乗る、すなわち家族の呼称を持つことで家族としての精神的な一体感が生ずる。多くの人が自らは別姓を選ばない理由はここにある。別姓容認は家族の呼称の廃止を意味し、家族の一体感をも損なうと、八木氏は警鐘を鳴らす。
だが、朝日27日付「教えて! 結婚と法律③夫婦別姓 子の姓はどうなる?」は、ジェンダーフリー派の二宮周平・立命館大教授を登場させ、別姓推奨一色で記事を綴り、八木氏が指摘する懸念に一切答えようとしない。
◆懸念の声伝える読売
これとは対照的に読売の「別姓を考える」シリーズ(11~13日付)は、子供への影響を懸念する声もあると、次のように書く。
内閣府の12年の世論調査によると、夫婦の姓が違う場合、「子どもに好ましくない影響があると思う」との回答は67・1%で、「ないと思う」(28・4%)を大きく上回った。日本大学教授の百地章さん(憲法学)は、「夫婦別姓は親子別姓をもたらす。別姓を選んだ夫婦は満足だろうが、決定権のない子どもの気持ちや視点を忘れないでほしい」とくぎを刺す。
こういう考えは朝日には一切載らない。安保論争と同様、「不都合な真実」を覆い隠す「家族の多様性」は要注意だ。
(増 記代司)