日韓50年に金鍾泌氏証言録 違う公開「金-大平メモ」
竹島めぐる諸説などに関心
韓国現代史の生き証人と言えば、金鍾泌(キムジョンピル)元首相が筆頭に挙がる。この人がもし日本に生を受けていれば、確実に首相になって国を率いていたほどの人物である。1961年、朴正煕(パクチョンヒ)少将が起こした軍事クーデターに加わり、その後、政権の中枢にいながら、韓国が経済発展していく過程を目撃、やがて民主化を迎え、自ら政党を率いて大統領選に臨み、韓国政界の元老として、今日までの韓国を見つめ続けてきた。
今年50周年を迎えた日韓国交正常化では、難航中断を繰り返した交渉を打開したのも金鍾泌氏だった。特に請求権交渉で金額が妥結できたのは、金氏と大平正芳外相(当時)のやり取りが道を開いた。
韓国で金鍾泌氏の証言録『笑而不答』が出されて注目を集めている。朴正煕時代のど真ん中を描いた「正秘史」と言われており、書名が「笑って答えず」の割には、金氏はこれまでの定説を覆すような証言を幾つも行っている。
月刊中央(8月号)が「金鍾泌証言録と現代政治史の新争点」の記事でそのいくつかを取り上げている。
日韓秘密交渉の象徴だった「金―大平メモ」だが、韓国外交部(外務省)が2005年に公開した秘密外交文書で示されたメモについて、金氏は「私の知らないメモだ」と否定した。これは驚きである。外交文書として保管され、秘密指定が解除されて公開されたものを、当人が否定したのである。
もちろん、大平―金秘密交渉がなかったわけではない。これによって中断しつつ14年間もかかった日韓交渉が妥結したのは紛れもない歴史的事実なのだが、“物証”が違っていた。
金氏が語る「本当のメモ」は「手のひら大のメモ用紙に交渉内容を何枚もハングルと漢字で書いた」ものだが、外交部が公開したメモは、A4版2㌻、上部に「Top Secret」と書かれたものだった。
では「真本」はどこにあるのだろうか。大平外相との交渉の翌日、金氏は「崔徳新(チェドンシン)外相(当時)にメモを渡した」そうだ。月刊中央は、「崔長官がこの文書を外交部に渡さなかったのか、渡したのに管理がいい加減で紛失したのか、でなければ外交部の暗い倉庫で『発見の光』を待っているのか、糾明されなければならない問題だ」と批判している。
竹島(韓国では「独島」)をめぐって「爆破論」がある。これは金氏が「独島を爆破してしまえ」と言ったという話で、しばしば批判にさらされる。これに対して金氏は、「大平氏が独島問題を『国際司法裁判所に預けよう』というから、『爆破してしまえば、あなた方は手にできない』と反論した。『日本が手にできない』ということに重点を置いた発言だった」と説明している。
さらに「独島密約説」というのがある。「韓国と日本が独島を未解決の状態で置いておくことで密約文を作成した」というもので、そのメモを「金氏の兄・金鍾落(キムジョンナク)氏が持っていたが燃やした」という話だ。これに対しても、「兄はそんなメモを持っていなかった」と否定している。
このほか、朴正煕元大統領が「一時、元南朝鮮労働党に身を置いていた」という「左翼前歴」説、金鍾泌氏自身が軍入隊前の思想に左翼疑惑があるという説なども取り上げている。生き証人の言葉は、これからもっと詳細に分析されていくことだろう。
編集委員 岩崎 哲